1920
1922年には義烈団長金元鳳(キム・ウォンボン)の招請で上海に渡り、23年朝鮮革命宣言と呼ばれる義烈団宣言を執筆・発表しました。暴力による民衆直接革命を主張したイ・ソンオンは、日本帝国主義による侵略の圧制を受けて肥大化した民衆勢力を日本帝国主義による異族統治としてだけでなく、当時の世界を支配していた略奪的かつ不平等な帝国主義対体制を打破する主人公として浮き彫りにされたという意味で、丹斎申采浩先生の民族主義理念に対する幅と質の強さがよく表われていると評価されています。1920年代は丹斎申采浩先生の歴史的力量が最も発揮された時で、この時期に「朝鮮上古史」「朝鮮上古文化史」「朝鮮史研究草」などを執筆しました。
1928
このように熾烈な人生を過ごしてきた丹斎申采浩先生は1928年5月に台湾で逮捕され、大連地方裁判所で10年刑の宣告を受けて旅順監獄に移監、
1936
服役中の1936年2月21日に脳出血で殉国、享年57歳でした。
1962
遺体は忠清北道清原郡琅城面帰来里に安置され、1962年3月1日に大韓民国功労勲章の複章が授与されました。